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「努力が嫌い」という言葉の裏側


 

こんにちは。

今日は長年の謎だった「何をやっても続かない・やり遂げられない」の答えが自分なりに出てきたのでお話ししたいと思います。

実際に私がそうだったような、「努力」という言葉が嫌いだとか、楽なうちは続くけどちょっとでも困難になると続かないという方へ、少しでも参考になればと思います。

 

勘違いの始まり

 

まず、「努力」や「練習」という言葉を聞いてどんな事が頭に浮かびますか?

 

私の場合、幼少期からいろいろな習い事をさせられたというのもあり、「苦行」でしかありませんでした。

自分が望んだ事ではないからだとは思いますが、どこの家庭でもそういうものはありますよね。

いろんな事をさせてみて、その子の適性を見極めるというところでは間違いではないとも思います。

個人的には大人になってからも実用的に役に立つものもあると思います。

最初は渋々でも、やってるうちに楽しくなるものもあるでしょう。

スポーツや芸術的な事は何が目覚めるかわかりませんもんね。

 

でも残念ながら私の場合はどれもこれも続かなかったんですね~。

しかも無理やりだったし好きでも無いので、始めた時から辞める口実を考えていたという・・・。

ただの反抗精神だったのか、楽に出来るところまではやるけど、ステップアップする前に逃げ出すという癖がついてしまいました。

母の理想の家庭像にそぐわないと受け入れてもらえないような環境だったので一旦は言うとおりにしますが、壁にぶつかると辞めちゃう。

「ほら、出来ないでしょ?」「私には合わないと思う」「才能があったら出来るはず」

そんな言い訳をしながら何でも放り投げちゃう癖。

これってよくある事だと思いますが、何が起こってるんでしょうか。

 

乗り越えられない壁は自分で建てている

 

この頃の私は、ピンクレディーが好きで、よく一緒になって踊ったり歌ったりしていました。

古くて知らない人もいるかもしれませんね(笑)

振り付きで歌うのが楽しくて一日中やってました。

こういうのは特別な練習をしなくても割と出来たので楽しかったんです。

小学生の頃は、歌う事も踊る事も好きだったので密かに歌手になりたいと思っていました。

そんな事もあって、本当に好きな事は努力や練習をしなくても出来るという変な思い込みをしたのかもしれません。

そういうところからか、「私にはきっと天から与えられた何かの才能があるはず」という根拠の無い信念が頭の片隅にいつもありました。

だから、壁にぶち当たる=私には向いてないという公式が出来上がってしまったんです。

 

実際はどんなに好きな事でも簡単に埋められない箇所は出てくるんですけどね。

 

そうしながら何事も中途半端に終わり、自分の才能を探し回って迷子になっていたように思います。

いつもそれなりに辞める理由があったんですが、それは今考えるとただの言い訳です。

辞めたくなって、その時に起こった出来事を寄せて紐づけていくような感じですね。

結果を急ぐあまりに、進展が見えない事に苛立ち、達成できなかった時に感じる恐怖があったんじゃないかと思います。

 

 

・本当に出来るようになるのか

・本当にしたかった事なのか

・できない自分に親や周りがガッカリする

・認めてもらえない

・目標を見失う

 

 

こういった思いから、ぶち当たった壁の先は「達成でなければならない」という完璧を求めるものだから、目の前の壁が高く分厚いものに感じたのかもしれません。

 

努力の意味・気づき体験

 

ある日何気なくテレビを見ていたら、ミュージカルのレッスンのワンシーンが流れてきました。

アイドルがミュージカルに挑戦するんですが、発声法が全く違うみたいで、先生からの痛烈なダメ出し。

それに併せて、普通の歌手でも歌詞に合わせて感情を表現すると思うので、そこはOKを貰えるのかと見ていたら・・・。

「貴方が楽でいると、観客も楽になる」「苦しい胸の内を表現するには苦しまなきゃ伝わらない」

「ミュージカルは歌で演じるんです」という言葉と共に、何度も今の気持ちを確認しながら練習をさせる。

すると、出来るんですね~♪

ずっと険しい表情だった先生もニッコリ!私もちょっと感動しちゃいました。

自分には関係ないテレビの世界だし、ミュージカル俳優になりたいというわけでもないんだけど、見ているうちに何故か心がざわついてきたんですよね。

 

最近いろんな人の努力体験を目にする事もあり、なんとなく頭で理解しつつあったというのもベースあったからかもしれません。

今更ながらお恥ずかしいのですが、「あ、これが努力(練習)の意味なのね」といわゆる「気づき」を体験した時に大号泣。

今までの可能性を否定してきた後悔や、なんて馬鹿な人生を送ってたんだろうっていう複雑な思いが次々と湧き上がって来ちゃってもう大変!

やりたいという意思はもちろん必要だと思いますが、才能というものは特別必要ではないんじゃない?と感じちゃった。

「努力は必ず報われる」

「才能より努力する事が大事」

どんなに言葉でこういう事を聞いても、理解はできるけど納得してないような感じで、どこかで「でも・・・」が付いてた私。

 

自分を信用していなかっただけ

 

先ほど挙げた達成出来なかった時に感じる恐怖というのは、努力に限らず多くの人が感じる事かなぁと思います。

これ、裏を返せば「自分を信じていない」「運命は決まってる」「条件付きでなければ愛されない」と言ってるのと同じだということにお気づきですか?

これをひとつずつ説明すると

 

・私には出来ないと思考で決定している事から起こる思考停止や現実逃避。

・決まった結果に向かっているつもりだったけど違ったと感じた時の絶望感や恥ずかしさへの恐怖。

・できる自分じゃないと人として見てもらえないという自己肯定感の低さと承認欲求。

 

 

これが私の努力をしない理由でした。

こういう考え方をしてしまうには原因があるんすが、これはまた別の機会にお話ししたいと思います。

今回はこれに気付けただけでも大収穫!という事にしたいと思います。

 

自己肯定感のお話はこちら↓↓

「何をやってもダメな自分」の正体

 

まとめ

 

努力って地道で泥臭いものだと敬遠しがちだけど、パズルのピースを埋めるように、足りない物は自分で探して向きを変えながら配置を考えながらコツコツ埋めていかないと完成しないんだなぁと思います。

ぶっちゃけパズルでもわからなくなると放置するようなタイプでした(笑)

そして諦めなければ、どんな人でも時間がかかってもちゃんと完成できるものなんじゃないかと希望が出てきました。

 

いろんな事に自分の思い癖や思い込みが邪魔をしてきます。

そこに気付いた時、「今までの自分は何だったんだろう」とちょっとした絶望感を感じたりもします。

でも何時からでもスタートはきれます。

くじけそうになった時にその理由について考えてみて下さい。

見せかけの言い訳では無く、その奥にある本当の気持ちや恐怖に目を向ける事が大事。

無意識は自分を守るためにあらゆる方法で恐怖から遠ざかるように指示してきます。

辞める事でのメリットが必ずあるはずです。

 

そして出来なくても大丈夫、努力した分はしっかりと経験値として身につけているから。

達成が全てではないという事も頭の片隅に置いておくと自分で自分にプレッシャーを与える事もなくなります。

自分を守るために可能性を奪うのも、完璧を追求して自分を傷つけるのも自分自身であるという事を覚えておいてください。

どんな自分も自分の個性だと思えるようになれば、もう少しだけ自分自身を労わってあげて下さい。

 

今韓国語の勉強をしています。

発音が難しいので、例の如くくじけそうになりましたが、出来るようになると信じてトレーニングに励んでます。

実際不思議なんですが、頭で読める単語も口に出してみると言えなかったりするんですよね~。

でも何回も口に出すとそれらしくなってくる。

お手本に韓国の人の発音を聞いたり、自分の声を録音して聞くというような工夫をしながら楽しくやってます。

凄い!出来てる!上手~♪

自分を褒めてあげる事も忘れずに❤

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