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毒親との別れ


 

私の毒親との出会いから別れまでの体験を通して、今現在も同じような思いをされている方や人間関係に悩まれている方の参考になれば嬉しいなぁっと思い、この記事を書く事にしました。

 

そもそも「毒親」という言葉

私はあまり好きではありませんが、世間一般的にこの呼び名が周知されているので使わせて頂きました。

今回は毒親についての定義や詳細は省略させて頂いています。

あくまでも私個人の体験や考えなので、当てはまらない方はスルーしてください。

 

 

毒親との出会い

 

生まれた時から物心が付くまでの記憶は多くの方があまり無いのではないでしょうか。

ですのでここでは自分の親が毒親であると認知した時が出会いの時と考えます。

私の場合、幼稚園の頃に母の着せ替え人形にされていた記憶が一番古いんですが、母の手作りの洋服や、イベントの時は着物、母が美容室に行くときは私も一緒に母の言う髪型にされる訳です。

漫画「キャンディキャンディ」の”イライザ”や「エースをねらえ」の”お蝶夫人”のような髪型と言ってわかる方は同年代ですね(笑)

ここには私の意見なんてものは反映されるはずもなく、凄く違和感を感じていました。

 

この時は反抗もせずに言われるままだったのですが、少しすると自己主張をするようになり、この頃から母の暴力が始まります。

 

力ずくでいう事を聞かせる。そのためには子供が泣こうが喚こうがお構いなしという感じで、幼心に私は「母の言う事を聞かないと痛い目にあう」「私は母のお人形」「母の思い描く娘でなければいけない」等の事を思っていました。

 

でも私も相当我が強かったんでしょうね。

とりあえず、全てに反抗心を持ってしまったんですよね。

それからの家は私にとって安全基地ではなく、サバイバルの現場と化しました。

 

毒親との別れ①

 

小学校から高校を卒業するまで母の元に居たわけなんですが、その間もずっとバトルが繰り広げられ、学校が避難場所のような生活でした。

なので、よほどのことが無い限り学校は休む事は無かったですね。

けっして学校が楽しかった訳ではありません。

この頃の私は無表情であまり口をきかない子でした。

なので周りからは何を考えてるかわからない子だったと思います。

それなりに友達が出来て、お喋りして笑う事もあるんですが、深く付き合えないし、笑っていても本当におかしいのか楽しいのかわからないような状態だったんです。

 

今思えば、学生時代の記憶の多くは薄く、友達の名前も思い出せないほどです。

唯一大人になってから再会した友達に「同じような境遇であった」という話を聞き、同じような感性を持ち、すごく共感する部分が重なる貴重な存在の友達がいます。

こういう存在がいるだけでも心は凄く癒されます。

 

私は学生時代ずっと母親と別れたくて「高校を卒業したら家を出る!」と宣言していたので高校卒業前から水面下で準備をしていました。

ところが、この事にも母は当然反対し、私も引き下がらないので苦肉の策として

母方の祖母が入院中なので、そこに留守番として住みなさいと言われました。

私にとっては母と離れる事が出来るなら何でも良かったので、そこに住む事にしたんです。

これが母との別れの1つ目の始まりでした。

 

毒親との別れ②

 

ひとりの生活は思った以上に快適で、それを守るためなら仕事も苦にならないくらいでした。生活するには充分な収入があったにもかかわらず、職場の同僚からの勧めで夜のアルバイトをする事になりました。

 

まだ若く、遊びたい盛りの私には水商売は苦痛ではありましたが、収入面はいう事無しだったのでお昼の仕事を辞めて夜だけの生活が始まりました。

ここでの生活が、後の私の悩みの種となったというか、生きづらさを感じる第一歩となったのです。

 

今から思えば「母の言う事を聞く事が正しい」がデフォルトな思考となっているので、いくら反抗心をむき出しにした行動をしても、根が真面目と言うか弾ける事が出来ない自分がいるんですよね。

その頃は「だらしない」「ちゃんとしなさい」「恥ずかしい」

そんな言葉がよく頭に浮かんでいました。

 

仕事もパートナーも今一つパッとしない、結構トラブルも多かったように思います。

何より恋人が出来ても「依存」が強く、ひと時も安心できない状態に陥ります。

そんな私も30歳を目前に、焦りから結婚をします。

当然そんな結婚は長く続くはずもなく、2年で離婚する事になりました。

 

それから34歳まで夜の仕事をする事になるんですが、天職とはとても思えず、今で言う「ライスワーク」だったんですね。

お昼の仕事に戻ろうと思ったんです。35歳くらいが面接のリミットだったので。

何に対しても思慮が浅く、行き当たりばったりな事ばっかりなんですが、その当時はそんな風には思っていませんでした。

 

結局知り合いのつてでお昼の仕事に就くことができました。

そこで10年お世話になり、縁があって転職する事になりました。

そこは両親に「私は大丈夫」と安心させるためか、認めてもらうためか選択した賭けのようなものだったんです。

 

ところがその会社はものの2年ほどで諸事情から会社をたたむ事になり、途方に暮れる事になりました。

そんなこんなしてるうちに、母が亡くなったのです。

 

これが母との別れの2つ目です。

 

毒親との別れ③

 

母が亡くなった時、私は正直悲しくありませんでした。

「やっと終った」こちらの方が近い感情だったと思います。

淡々と葬儀を済ませ、何もなかったような日々を過ごしていましたが、1年が経とうとしていた頃に異変が起こり始めます。

 

当時勤めていた職場で私はミスを連発し、接客するのが怖くなってしまったんです。

それから色々と体調に変化が出て来てしまいました。

年齢も50歳になっていたので「更年期障害かな」なんて漠然と思っていました。

頭痛・耳鳴り・めまい・発熱が続き、ちょうどその頃コロナが広がりつつある時で、職場から出勤を見合わせるように言われていました。

そうしている間に時間が出来たので、次のプランを考えないといけない時期かなぁなんて思いながら、タロットと心理学の勉強を始めたんです。

 

その頃はもう何処かに所属して働くのは怖くなり「自分ひとりで自宅で出来る仕事」を探すようになっていたんですね。

結局1か月近く微熱が下がらず、そのまま退職する方向へと進みました。

 

心理学を学ぶうちに、自分の事を振り返ったり、考えたりするようになりました。

自分でも自覚し、ことある毎に「毒親っぷり」を披露して悲劇のヒロイン気取りだった私は、「こんな事いつまでも続けてたらアカン」と思うようになり、カウンセラーをする前に自分の問題と向き合う決心をします。

※今回の記事内の出来事はほんの爪先ほどの当たり障りのない一部です

 

あるところで心理カウンセリングを受ける事になりました。

始めは私の心はガッチガチに閉ざされ、感情を感じない癖があったらしいです。

すぐに思考に持っていき処理するという所、人との関係性は支配と服従・上下関係で成り立っているところ、いろいろな自分があぶり出されていきます。

 

グループセッションに参加するようになり、他の人のセッションを見ながら感情の動きを感じきるというトレーニングをしてきましたが、半年ほどたった頃に全ての事が自分の妄想であったかのような感覚に陥ったんです。

 

「私は愛されてた」「毒親なんか始めからいなかった」「母も苦しかった」

そんな考えが次から次へと湧いてくるんです。

どうしたらいいかわからなくなりました。

 

後悔と罪悪感と安心感と満足感

そんなものが入り混じった複雑な心境になっちゃったんです。

 

それから、私が生まれた頃のアルバムを実家に借りに行きました。

母が亡くなっても写真1つなかった私の部屋。

そのアルバムを開くと

私を優しい笑顔で見ている母の姿が目に飛び込んできました。

それを見ただけで大号泣し、自然に母の写真に向かって「ごめんなさい」と出ていました。

 

これが本当の毒親との別れと私は力強く感じました。

 

 

さいごに

 

私の場合、物心ついてから今まで約40年間もの間、母に対して違和感から始まり、嫌悪、憎悪を持ち続け戦ってきました。

そこで感じた事は、物理的な距離を置いたからといって毒親から解放される訳ではないということ。

むしろ、現実に居ないのに頭の片隅にいつも母が私を見張っていたような感覚がありました。これを「私は母の亡霊とずっと暮らしてきた」と言ってますが。

なので、母が亡くなって「やっと終わった」と思っていたけど全然終わってなんかいなかったんです。

ずっと母は私の耳元で同じことを囁くのです(幻聴ではなくイメージです)

それもそのはず、私が生まれて初めに話す言葉や考え方のロールモデルは両親であるという現実。

幼少期に身に付いた思い癖や言動は、私の場合は母の完コピなんですよね。

大嫌いな母に似ている自分を呪い、嫌ってしまうという地獄も味わいました。

 

若い頃は体力とエネルギーのパワーで何とか乗り越えられてきたものが、40代・50代ごろになるとバランスが崩れていく。

このころに鬱になる人が多くなるのも、少なからずこういう問題を先送りにしてきたツケなのかと感じます。

私の場合は職場をやめる事で体調が回復したので、結局は「適応障害」という事だったんですが、それでも尚やり続ける事できっと「鬱」に発展したのではないかと思います。

 

今回のカウンセリングは私にとってとても価値のあるものだったと実感しています。

私はたまたま心理学の勉強をしていたので、カウンセリングというものの壁がそんなに高くはなかったんですが、日本ではまだまだ偏見もあると思うし、ご自身も自分の恥ずかしいと思う部分をさらけ出す事になかなか勇気を持てなかったりします。

でも、あなたが思うほど恥ずかしい事でもないし、グループセッションを受けた時は同じような悩みを持つ方の多さに私も最初はビックリしました。

そして誰も責めないし、蔑まない世界を見れて安心感を覚えました。

真実を知る事、あなたの見ている世界は自分に都合のいい妄想の世界であるかもしれないという可能性。

「あなたは愛されている」「あなたはひとりぼっちじゃない」「あなたの存在が喜び」という事に気付けたらいいですね。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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