ネコから学んだ世界平和
うちには2匹の猫がいます。
どちらも保護ネコで、兄の「朝日(あさひ)」と妹の「日向(ひな)」という名前です。
朝日はとっても人間大好きな甘えん坊。
少しアニメ「ドラえもん」のジャイアンっぽい性格です(笑)
ゆえになのかどうかはわかりませんが、保護される前は人間に飼われていたけど捨てられたんではないかと推測しています。
全力で体当たりな愛情をぶつけてきてくれるので、時々驚きますし、最初は戸惑いましたが、今ではとても分かりやすくて愛情をいっぱい感じます。
一方、日向の方は宮古島で野良猫(地域ネコ)が赤ちゃんを産んだのを保護したという感じです。
遠路はるばる猫にとっては貴重な飛行機体験を経て大阪にやってきました。
うちに来る前に保護されていたお宅では、大勢の面倒見のいい親代わりの先輩ネコや、仲間の子猫たちと良い猫関係を築きながらスクスク育った箱入り娘ちゃん。
アニメでいえば「ハクション大魔王」のあくびちゃんタイプでとっても無邪気で可愛らしいです。
少々アニメの例えが古いですが、わかってくれたあなたも同世代?!(笑)
こちらも人間大好きで人懐っこいので、うちに来るお客様の間で人気者です♡
この子たちがうちに来る前にも2匹の男女の猫を飼っていたわけですが、その時から感じていた「猫を見習いたいなぁ」と思ったお話をしたいと思います。
というのも、猫たちにはあまりこだわりがありません。
私がいつも座る椅子の上で機嫌よく寝ていても、そこに私が座る気配を感じたらスッと場所を変える。
「おばはん、せっかく機嫌よく寝てるのに邪魔すんなや~!」なんてかかってこないんですよね~。
また気持ちのいい場所を見つけてそこでくつろいでる。
なんなら、私が椅子に近づくだけで察してその場から離れたりします。
怖いとか嫌いという訳ではないはずです💦
それはさておき、何が言いたいかというと、「ここでないとダメ」とか、「ここは自分が先に場所をとった」という主張をしないんです。
猫は起こったことを素直に受け入れるという特技を生まれながらに持っているようです。
そのうえで何が一番快適かを選んでいるように思います。
起こった事をとやかく思っても仕方がない。終わったことだから。
終わったことに固執するより、今どうすることが一番いい事なのかを考えて行動しているように見えます。
だからでしょうか、何かひっくり返したり粗相をしたりして、発見した時に怒っても「何のこと~?」みたいな顔をするのは( ;∀;)
まさに「マインドフルネス」
過去への後悔も無ければ、未来への不安もない「今を生きる」を実践しています。
メンタルの師匠と呼ばせて頂きたいくらいです(笑)
こんな事ありませんか?
迷惑な行為をしている人が居るとして、自分は悪くないからその場を離れるべきはその人だと思ってしまう。
または行為を指摘してしまうなんてこと。
例えば、電車内の電話や音楽の漏れ聞こえる音なんか気になりますよね。
いつもの私なら「うるさいなぁ~」なんてその人を睨みつけたり、呆れ顔で見たりして相手の居心地を最大限に悪くする作戦を慣行してしまっているところです。
もっと正義感あふれる方なら注意してしまうかもしれませんよね。
でもこれって結局、そうした本人も後味が悪いというか、最悪ケンカになりかねません。
そんな時に「猫はどうするだろう?」と考えてみたんです。
そうすると黙ってその場を立ち去り、静かな場所に移動する事を選択できた私。
争う事もなく、正当性にこだわることなく快適な場所に自分の身を置く事が出来るんだなぁ。
なんて思いました。
「なんで私が動かなくちゃいけないの?」「なんか負けた気分になる!」
と思うかもしれませんが、そこに「猫だったら?」と考えたうえでの自分の選択である事だという意識だとそういう気持ちは不思議と湧かなかったんですよね。
動いてもいいし、動かなくてもいい。
選択できる自分が常にいると思わせてくれます。
「動いたりやめたりするべきは相手」と思うとなかなかそうは思えませんよね。
そもそも猫にはそんな発想はないんですから素晴らしいと思いませんか?
正しさを訴えたり、勝ち負けを考えた時点で自分の世界に平和は無くなっちゃうんですよね。
少し視点と発想を変えるだけで、自分の精神で世界平和が訪れた経験でした。
ネコちゃんは平和の使者なのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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