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人間関係に疲れたら読んでほしい詩


・人と会ってる時はそれなりに楽しいけど、家に帰るとどっと疲れている自分。

・なぜか人間関係にいつも悩まされている。

・転職や引っ越しを繰り返す人生だなぁと感じる。

・私の恋愛はいつも同じパターンでの失敗を繰り返す。

・「ひとりが楽」が口癖

実はこれらの悩みは私の事だったんです。

こんな事で悩んでいるのは自分だけだと思っていましたが、グループセッションを受けた時、案外多くの方が同じようなお悩みを持っている事を知りました。

そこで、こういうお悩みをお持ちの方にぜひ読んでいただきたいとこの記事を書く事にしました。

 

はじめに

 

私たちは家族に始まり、いろいろなコミュニティや周りの人との繋がりの中で毎日を過ごしています。

そんな中、「家族とは」「社会とは」「常識では」「普通は」「大人にもなって」「男のくせに」「女のくせに」「~するべき」

こんな言葉と共に成長してきた方も多いと思います。

何気ない言葉のように感じますが、この言葉に支配され始めると「自分らしさ」「自分の願望」がわからなくなっていきます。

また家庭環境において、親のお世話役であったり、過干渉な親、ネグレクトといった「機能不全家庭」で育ったという方にも、人との境界線が曖昧である傾向があります。

「誰のための何のための人生なのか」と考える事になったあなたが、このページにたどり着いたのかもしれません。

 

〇人の目が気になり嫌われないように振る舞う

〇人の期待に応えようと頑張ってしまう

〇気が付けば誰かのお世話ばかりしている

〇人が思うように行動しないとイライラする

〇否定されたら必要以上に落ち込む

〇NOが言えない

 

冒頭のお悩みを突き詰めると、こういう事が人間関係に対するパターンであると考えられます。

これらの事に思い当ったら、ぜひ最後までお付き合いください。

 

今回は『ゲシュタルトの祈り』という詩をご紹介します。

これを読んで少しでも心が軽くなっていただける事を願っています。

 

ゲシュタルトの祈り

 

ドイツの精神科医であるフレデリック・S・パールズ(1893~1970)が創設したゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩です。

この詩はゲシュタルト療法のみならず、多くのカウンセリング理論を集約したような内容となっており、広く知られています。

 

原文はドイツ語ですが英文を記載します


I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.

 

(日本語訳)

 

私は私のことをする

あなたはあなたのことをする

 

私は、あなたの期待に応えるために生きているわけではない

そしてあなたも、私の期待に応えるために生きているわけでなない

 

私は私 あなたはあなた

 

もしも偶然、私たちの心が触れ合うならば、それは素敵なことだ

もし触れ合えないとしても、それは仕方のないことだ

 

 

解説

 

何か引っかかったフレーズはありましたか?

サラッと読めば、分かりきった事のように感じるかもしれません。

頭ではわかっているけど、実際出来ているかというとまた別の話である事が多いんです。

 

人間関係に悩み、どうすれば抜け出せるのかと疑問を持った時に初めて響く言葉なのかもしれません。

 

この詩には色々な観点からの教えが散りばめられているように感じます。

「自立と依存」「課題の分離」「自分軸と他人軸」「受容と共感」など

これらの問題を抱えると人間関係が横の繋がりではなく、縦の繋がりになりやすくなります。

私自身も長年この形でしか人間関係を築くことができず、苦しんでいたひとりです。

ここでは私が感じたAC(アダルトチルドレン)的観点でお話したいと思います。

 

自立と依存

 

私たちの生まれて初めての人間関係は、養育者との関係ですよね。

子供である私たちは100%依存する側で養育者は100%自立という関係性です。

「私は何もできないので愛を与えられるべき人間」こういう感覚を持ちながら成長していきます。

ここでこの感情が満たされる事のなかった方の多くは、この感情を持ったまま大人になっていくんです。

そうすると、「誰かが私のために行動するべき」「私は与えられて当然」「愛されるべきは私」なんていう事が無意識のうちに大前提となっている可能性があるんです。

当然そんな事が大前提で関わられた相手は「親のような無償の愛」を要求され続けるんですから困惑しますよね。

こういう方いませんか?「いつか白馬に乗った王子様が現れる」と本気で思っている。

何を隠そう私もそうでした(笑)

 

子供のころに愛されたいという感情が満たされないと、いつしか「こんな自分は愛される価値がない」にすり替わる事になります。

そうすると、これでもかと言わんばかりに相手の愛を試すような行動にでたりする事もあります。

「こんな私を愛する人はいないハズ」の前提で物事を見てしまう事が大きな原因になっているのかもしれません。

 

こういう方の多くは人からの愛を受け取ることが出来ません。

誉め言葉を素直に受け取れない

好意を寄せてくれている方からのアプローチを受け取れない

好きな男性のはずが不平不満がわき上がりやすい

心当たりありませんか?

 

課題の分離

 

例えば両親が実現できなかった事を子供に期待するというような案件。

その他、両親の不満を子供に愚痴るというようなもの。

まだまだ色んな事例はありますが、何となくイメージして頂ければいいかと思います。

このような問題は、両親の問題であって、子供の課題ではありませんよね。

ところが子供というのは基本的に両親や養育者が大好きなんです。

嫌われないように、見捨てられないように、健気に一生懸命期待に応えようとします。

そしてあらゆる手を使って問題を解決しようと奔走します。

そうしているうちに、人との関わり合い方のデフォルトがそのような関係性を求めるようになります。

健気さゆえに陥る事なんですが、これが後に悲劇を生むことにもなりかねません。

親の感情を引き継ぐ事で、追体験をしてしまうという方もいらっしゃいます。

これも健気さゆえの「親の感情を理解する」ため。

もちろん本人はそんな意識はありませんよ。

 

こういう方いませんか?「ダメンズばかり選んでしまう」「NOが言えない」「母(父)と同じような言動をしてしまっている」など

こういう心の仕組みだと気づく事で改善できる事も沢山あります。

 

自分軸と他人軸

 

この言葉よく聞くようになりましたね。

よく誤解されるのが、人に合わせるのではなく自己主張が大事という解釈。

まぁ間違いでもないんですが、一歩間違えると自己中ですよね。

 

ここでいう自分軸と他人軸を解りやすく言うと、社会や人の目を気にした結果の言動であるか、自分がそうしたくてしている言動であるかの違いを言います。

つまり、言動の主体が外側にあるか自分にあるかです。

よく両親や先生なんかに冒頭であげたようなセリフを言われ続けると、自分の考えを表現する事よりも、みんなと同じである事や親や他人のいう事が正しいという考えが深層心理に刷り込まれていきます。

そうすると自分の感性・感覚に自信が持てない」「自分の考えに自信が持てない」「人と違う自分はおかしい」となります。

自分も周りも安心して穏便に暮らせるというメリットはありますが、最大のデメリットとして「自分がわからない」という事になる可能性が大きいのです。

集団生活を送っているような時にはあまり感じないかもしれませんが、自分が何かをしようとした時に「自分は何が好きなんだろう」「自分は何がしたいんだろう」「自分は何者?」なんていう疑問が浮かんでくるかもしれません。

 

そして忘れてはならないこの他人軸、厄介なことにとても大きなメリットがあるんです。

それは「自分自身が責任を取らなくて済む」というもの。

「あの人が言った通りにやる」は「あの人の言う通りやったからこうなった」といった感じ。

だからなかなかやめられないんですよね。

すぐに外側のせいにする方はこういうループにはまっているのかもしれません。

 

受容と共感

 

ありの~ままの~姿見せるのよ~♪

子供から大人まで口ずさむほど流行りましたよね。

これも解釈を間違えると大変なことになるかもしれません。

 

受容という言葉は受け入れるという意味がありますが、条件付きでは受け入れた事にはなりません。

これは「何をやってもダメな自分の正体」という過去の記事に詳しく解説していますので良かったらご覧ください。

 

ダメなところがある自分にOKを出すことで、人にもそれを認めることができるという考え方です。

これは心理学でいう「投影」が関わってきますが、「人は自分の鏡」という言葉聞いたことありませんか?

解りやすく言うと、自分に存在するものを人を通して見るというものです。

 

例えば、「○○ちゃんは優しいね」とあなたが感じたとします。

○○ちゃんの言動は誰が見ても優しいものでしょうか?

実際そうかもしれませんが、それを優しいと思えるあなた優しさがあるからそう見えるんです。

人によっては「○○ちゃんは優柔不断だ」とか「○○ちゃんは偽善者だ」なんて見る方もいるかもしれませんね。

それぞれ自分の持っているものや思っている感情がそのまま映し鏡のように見えるというものなんですね。

 

これでもうおわかりでしょうか。

受容と共感の本質は、どんな自分も受け入れる事で、どんな人も認める事ができるという訳です。

不平不満の多さは、自分の「無価値観」や「コンプレックス」を感じたくないからかもしれません。

完璧でない自分を受け入れる事で人の不完全さを許せるようになります。

自分を攻撃する人が多いと感じる方は、誰よりも自分を責めている方なのかもしれません。

 

さいごに

 

これらを読んでいただいたうえで、もう一度「ゲシュタルトの祈り」を見返してみましょう。

 

 

私は私のことをする

あなたはあなたのことをする

 

私は、あなたの期待に応えるために生きているわけではない

そしてあなたも、私の期待に応えるために生きているわけでなない

 

私は私 あなたはあなた

 

もしも偶然、私たちの心が触れ合うならば、それは素敵なことだ

もし触れ合えないとしても、それは仕方のないことだ

 

自分の感情は自分のもの

相手の感情は相手のもの

人の感情まで自分が背負う必要はない

自分の感情がわかってもらえないからと悲観する必要もない

もしもわかってもらえたらそれは奇跡的に幸せな事

自分が良いと思えば、それが自分の選択した正解

 

そんな風にこの詩は言っているような気がします。

自分ひとりの時でも楽しめる。自分の中に幸せを見つける事ができる。

「他者が幸せを与えてくれるのではない」と気づいた時に初めて対等な関係性が生まれ、ありのままの自分を受け入れる事で本当の意味での他者との心のふれあいが始まるように思います。

 

 

さいごに私が劇的に自分の世界が変化したきっかけとなった言葉を届けたいと思います。

 

「あなたは愛されています」

 

とてもそんな風に思えない方も多いと思いますが、自分自身で思い込む事から始めていただいても大丈夫です。

対人関係で相手の行動が理解できないと感じた時に思い出していただきたい言葉です。

「この人は私を愛そうとしている」のに何故こんな言動なんだろう?

こういう風に考えて見てみてください。

これを大前提に物事を見ると、人間関係においても、お相手があなたの思い通りではないかもしれませんが、違う形で愛を表現をしているという事に意識を向けられるようになると思います。

そしてそれを素直に受け取れる私になりましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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